下関第一ビルデイング余話

先日、旅行先の山口県下関市で偶然見かけた、おそらく現時点で判明している限り日本最古の分譲マンションである「下関第一ビルディング」の紹介動画を公開した。動画の中でも話したとおり、僕はこのビルについては下関へ旅行に行くまで一切存在も知らず、たまたま泊まったゲストハウスの最寄りのコンビニの隣にあった古びた同ビルについて、築年数が気になって調べ始めたのがきっかけだった。
検索結果の多くは個人のブログの紹介記事であり、分譲マンションである点に触れたものは、動画内でも紹介した論文『下関第一ビル(1949)の建設経緯と空間構成』しか見当たらなかった。だがその記載内容は、同ビルの竣工が戦後間もない1949年であり、これまで「日本最古の分譲マンション」とされてきた東京・渋谷の旧宮益坂ビルディングよりも古い事実を明らかにした驚くべき内容だった。
その事実を突き止めたのは、あくまで論文の作成者の先生方であって僕ではないが、論文は建築工学やデザインの観点から論じるもので、「日本最古の分譲マンション」が何であるかという点はそこまで追究していなかったこともあり、それで僕が改めて動画で紹介しようと決意したものだ。

区分所有法制定(1962年)前の分譲マンションであるため、法施行を機会に一度登記簿とその記載内容が更新されており、更にその後の登記情報の電子化によって、現在は最新の登記情報を取得しても、正確な築年月日や所有権保存登記の年月日の記載がない。そのため地元業者の物件情報やブログなどでは、築年数不詳と書かれていたり、不正確な築年月日が記載されていたりして、それもこのビルの詳細がこれまで広く伝えられていなかった遠因の一つにも思う。
ビルの管理者の連絡先は、館内の所々に貼られた「4階水道閉栓のお知らせ」の張り紙に記載されている。長年水道料金の支払いがないため部分的に水道の閉栓を行うという、あまり見慣れない類の通告だ。その張り紙も2018年の日付が記載された古いものだったが、記載された管理者の電話番号を検索してみると、管理者の姓と同じ下関市内の事業所がヒットした。
しかしその事業所を訪問してみても不在で、電話も繋がらなかったため、そこで地元の老舗不動産会社とも縁が深い宿泊先のスタッフに、管理者の連絡先などを知らないか尋ねてみたところ、「あのビルは、中に入って騒いだりしなければ、撮影して公開してもまったく問題ありません。貴重な建物ですし、おそらく近いうちに解体になるでしょうから、ぜひ紹介してください」との回答だった。


そのため当初は管理者の承諾無しで撮影を強行する予定だったが、その後、管理者自身も同ビル内のテナントに、僕が訪問した事業所の支店として入居していることがわかり(看板から一目瞭然だったのだが)、改めて管理者も訪問してみた。当初は訪問営業と勘違いされたが、事情を説明すると、以前も岡山大学の教授が来たのだという話になり、そのまま撮影の許可もいただき、晴れて正式にビル内の撮影をすることになった。
もっとも管理者自身、テナントの店子の一人に過ぎず、本来の分譲マンションにおける管理組合の組合員ではない。管理人自身「管理組合ではなく、自治会みたいなものだ」と話していた。最初からないのか、それともいつの間にか消滅してしまったのかはわからないが、下関第一ビルには正式な管理組合が存在せず、現在は管理費の徴収も、修繕積立金の徴収も行われていない。



下関市が半年ごとに1室あたり3000円徴収している「管理費」は、単なる共用部の清掃費用であって、下関市が自ら主体的に建物の管理業務に従事しているわけではない。清掃業務をシルバー人材センターに発注している下関市住宅政策課も、ビル自体は区分所有者の所有物であるという立場を明確にしている。
借地料は、40万円で販売中の2階のある1室の物件広告によれば、年間96212円。古い建物なので、借地人の権利が非常に強いとされる旧法借地権に基づく賃貸借契約だ。契約時に保証金として借地料の半額、48106円が必要となり、その他2ヶ月毎に6000円の水道料金の徴収があるそうだ。水道料金が定額なのは、おそらく各戸ごとの水道メーターが設置されていないためであろう。


いずれにせよ、水道料金ですら未払いが続いているということは、清掃代である管理費も、あるいは借地料ですらも、全戸から回収はできていないであろうことは容易に推察できる。下関第一ビルは、一応は3階、4階は住戸を想定して分譲されたものの、駅近くの好立地からか、実際はその住戸も含め大半の居室が法人の入居者であったらしい。
新築当初は商工組合中央金庫や東洋オーチス・エレベータ(日本オーチス・エレベータ)、山岡内燃機(ヤンマー)などの著名な企業の下関支店が入居していた同ビルも、老朽化が進むにつれてオフィスビルとしての需要もなくなり、今となっては2階以上の居室のほぼすべてが空室である。
登記をすべて確認したわけではないが、おそらく実体がなくなった幽霊法人の所有権が残されたままの区分も相当あるのではないだろうか。下関第一ビルは全64戸あるので、全戸の登記を確認するのは(出費面で)少々勇気のいる話だが、もしこの先、住宅政策課の職員さんが話していたように、ビルの底地の売却の話が現実味を帯びてきたら、改めて全戸の登記を確認したいと考えている。

居室のドアに貼られていた平成2年の張り紙。
ところで、動画のコメントでも、保存を望むご意見が多く寄せられたが、撮影の承諾をいただいた管理人さんもまた、下関第一ビルの保存の必要性を強く訴える一人である。底地の売却によって、新たな敷地所有者による解体を懸念していた。
これに対して僕個人の意見は、すでにXなどでも表明しているので繰り返しになってしまうのだが、下関第一ビルが今と同じ区分の建物であり続けるしかない限りは、最終的には解体を目指すべきであるという考えである。
もちろん僕だって下関第一ビルの歴史的価値は高く評価している。実現性を度外視した夢物語の開陳が許されるのであれば、どこかの富豪が底地を買収し、区分も可能な限り買い戻して、リニューアルを施して賃貸のビンテージマンションとして再生するのが一番理想的だと思うし、そうなってほしい。でもそれが実現せず、各居室ごとに異なるオーナーによって、てんでばらばらに所有と売買、放置の判断が繰り返される限り、もはや下関第一ビルは完全に出口を失っていると言わざるを得ない。

まともな管理費も修繕積立金もなく、現況のままではほとんど買い手も借り手もつかないこの老朽化したマンションを、自費で解体して再開発を行う意思がある事業者がもし現れるのなら、それは無管理マンションにとってはまたとない僥倖なのである。残念な話だが、現状ではその事業者に運命を託す以外の手段が残されているとは思えない。
下関第一ビルが今日まで現存し続けたのは、日本最古の分譲マンションであるという理由などではなく、管理組合もなく解体に向けた道筋も立てられないまま、下すべき決断がひたすら先送りにされてきたからに過ぎない。古めかしい玄関の木製の扉も、交換を提案する機会もなかったから残されていたものである。
採算度外視なフルリノベでも実現しない限り、下関第一ビルは集合住宅としての役割をほぼ終えている。南洋のジャングルで発見された年老いた旧日本兵を、奇跡的だからといって再びジャングル生活に追い返すような所業は許されない。それと同じで、満身創痍とも言える下関第一ビルも、その歴史的価値を正当に評価したうえで、最期を看取る道筋があってもいいのではないか、と思う。少なくとも、壁が崩落して歩行者に危害を及ぼす恐れのある「危険空き家」として地域で有害視された挙句、結局は公金で除却されるよりは、ビルにとってもずっと幸せな結末のはずだ。


そのために論文作成者の先生方は詳細な建物調査を行ったのだと思うし、僕も旅行中でありながら動画制作を決断したものである。僕が密かに期待しているのは、動画を見ていただいた視聴者さんの中で、カメラの腕前に自信のある方が、下関第一ビルの魅力的な写真を収めてくれることだ。
そうは言っても、今なお地元不動産会社が公開している、10万円などという価格の同ビルの売物件を見ると、そんな僕の意思表明も軽く揺らぎそうになるのも嘘偽りない本音である。流石に下関みたいな遠い町の無管理マンションに手を出す蛮勇はないが、このビルが、水戸とか土浦とかになくて本当に良かったと安堵している。もっとも借地料96000円というのは僕にとってはとんでもなく高額で、迂闊でなくても手が出せる代物でもないのだが。

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