旧東洋紡績津工場跡

7月9日から11日にかけて仕事で訪問した三重県津市で、地元在住のXのフォロワーさんにご案内いただいた津市の戦争遺構。津市は、1945年6月から7月にかけて3度の大規模な空襲を受けて市内は壊滅的な被害を受けているため、戦前の建築物はほとんど残されていないのだが、この建物は、辛うじて焼け残った建物が、戦後に長屋住宅として転用され、今日まで残されているらしい。


東西の2棟が残されているが、1952年に米軍が撮影した航空写真の模様と現況を比較する限り、現在は東側の棟は一部が解体されており、跡地は一般の民家の敷地になっている。いずれの棟も建物南側に、昭和の古い時代の公営住宅によく見られるような増築部分が見られる。

1952年11月26日に米軍が撮影した航空写真。赤丸部分が現在の住居棟。【国土地理院地図・航空写真提供サービスより】
東側の建物についてはすでに廃墟同然の状態で住民もいないと思われるが、西側の建物は、外装もリニューアルが施され現在も使用されている。なお物件所在地の船頭町津興は区画整理が行われたらしく、西側の建物の一部は、換地処分を経て現在は津市の所有になっている。



建物の由来を伝える記録はほとんどないが、元々は昭和初期に建てられた東洋紡績津工場であり、戦時中に接収され、軍需工場(三重工業)として転用されたらしい。当時の工場はこの建物だけでなく、現在は津球場のある一帯まで工場敷地が広がっていたらしい。同じく米軍が撮影した1947年の航空写真では、やや不鮮明であるが、当時の工場の敷地の範囲や、その痕跡が確認できる。

1947年9月23日に撮影された三重工業跡地の上空写真。不鮮明なため現在の住居棟は視認が困難。
『製糸工場概況 : 女工紹介資料 昭和8年11月調査』によれば、当時の東洋紡績津工場には男女別の寄宿舎があり、特に女子用は第一寮から第六寮に分かれ、1500名の収容が可能な(おそらく今日の感覚ではすし詰めの状況であろうが)ものであったとの記載がある。住宅として転用されているのは、その寄宿舎の残骸なのかもしれない。






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