虐待の真実 -ヤマギシ会の子どもたちへのアンケート結果-

自費出版本として流出した古いアンケートの記録
吉川祐介 2026.09.25
誰でも

「限界ニュータウン」とは一切関係ない話題だが、他に紹介できる場もないのでここで書くことにする。「幸福会ヤマギシ会」の施設で暮らしていた子どもたちへのアンケートをまとめた本についての話である。

この書籍は、今から20年以上前、東京・中野の「タコシェ」という自費出版本を多く扱う書店で購入したものだ。発行から遡ること5年前の1998年、学校法人の設立を目指していたヤマギシ会は、学校設立のための計画書と申請書を、本拠地である三重県に提出していたのだが、このころすでにヤマギシは、施設内で会員の子どもに対する様々な虐待疑惑が指摘され、広島弁護士会や日弁連から警告や勧告を受けている状態にあった。

そこで三重県は、当時ヤマギシの施設で生活し、地元の小中学校に通っていた小中学生の子どもたちに、施設内での生活や虐待の模様に関するアンケート調査を行った。そこに記載されていたのは、一部ヤマギシ会を擁護したり、アンケートやマスコミ報道に対する不信感を呈したりする子どもの声もあったものの、多くの子どもが、理由にもならない理由でヤマギシの世話係から暴力を受け、ヤマギシの学校が設立されたら、地元の小中学校など「外の世界」との接点がなくなってしまうと悲痛な声で訴えるものだった。

アンケート結果は結局公にされることはなかったが、その後、どこかからアンケートの設問と記述式回答のすべてが流出し、当時、ヤマギシ会の実態の潜入ルポルタージュを発表していたジャーナリストの故米本和広氏と、元ヤマギシの会員の手によって、自費出版の形で公表された。それがこの『虐待の真実 -ヤマギシ会の子どもたちへのアンケート結果』である。

まえがきと編集後記はそれぞれ米本氏と元会員が執筆している。奥付には「複写禁止」の記載がある。率直に言って、元会員でもなく、「カルト」についての文筆活動をしているわけでもない僕が、わざわざリスクを背負ってまで無断転載するメリットはない。

しかしこの書籍はすでに2003年の発行から23年が経過し、国会図書館にも納本されておらず、もはや探して入手できる代物ではない。僕自身、とっくに手放していたつもりだったのだが、数年前に実家の掃除をしていたら押し入れの奥から発見し、久しぶりに目にしたものだ。

この本についてSNSで言及するたびに、個人的に連絡をやり取りしている某メディア関係者や元会員の方から、資料として探していたがどうしても見つからないのでぜひ見せてほしい、と連絡をいただいていた。その都度、貸し出したり複写したりして応対していたが、それでは埒が明かないので、今回、アンケート結果の部分をpdfファイル化して公開することにした。文末のリンク先のクラウドに、調査票、集計結果、記述式回答、資料の4ファイルに分けて保存してある。

米本氏や元会員の解説と、表紙の写真については複製を控え、あくまで非公式に流出したアンケート結果と、当時の広島弁護士会や日弁連の警告書(もともと同誌に収録されていたもの)のみの公開とした。このアンケート結果がヤマギシのすべてというわけではなく、ヤマギシでの体験を(必ずしもネガティブではない)糧として社会生活を送る元会員やその子どももいるということは明言しておかなくてはならないが、こうした実態があった、というひとつの時代の記録として紹介したい。

余裕があれば紙の本としても再販したのち、原本は国会図書館に納本する予定である。

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僕は今でもしばしばSNSでヤマギシ会の話に触れるものの、特にヤマギシ会に縁があったわけではない。一時期マスメディアのバッシングを受けていたのを目にしたほかは、せいぜい高校生くらいの頃に実家の近くで、車体に「ヤマギシズム」と書かれた移動販売車を見かけたくらいだった。体験談としてよく聞く、夏休み期間の体験入村などにも参加していない。

21歳の時、半年ほどだが三重県の桑名市で新聞配達の仕事をしていたことがあり、隣の四日市市と、県庁所在地である津市にヤマギシの実顕地があった。特に津市のものは恐ろしいほど巨大な施設で、バッシングの報道は目にしていたものの、なんとなく自給自足を目指すコミューンであろうと勝手に早合点していた僕は(実際、そのような時期もあったらしいが)、「自給自足」というワードから連想される牧歌的な雰囲気とはあまりにかけ離れた実顕地の模様を目にして、にわかにヤマギシへの関心が湧いてきた。

もともと僕は高校時代から卒業後しばらくはバックパッカーに憧れていて、実際に東南アジアの国々にも足を運んでいた。しかし、実家暮らしでアルバイト代をすべて旅費につぎ込むことができた高校時代と異なり、高校卒業後は実家を出ていたので、乏しいバイト代では日々の生活に追われるばかりで思うように旅費は貯まらず、いつの間にかそんな意欲も薄れてしまっていた。

そんな当時の僕が憧れていた往時のバックパッカーの世界には、まだ辛うじてヒッピームーブメントの時代の名残があった。アジアを旅行すれば、そんなヒッピーにかぶれたような姿の旅行者を見かけることはざらにあったし、当時流行していたレイヴ・ゴアトランスのシーンと絡めて語られることもあった。

僕は別にヒッピーに憧れてバックパック旅行を始めたわけではなかったが、劣等生で、就職も進学も拒絶していた当時の僕は、辛うじてアルバイトが見つけられる範囲で、可能な限り郊外や、そのさらに少し外側の田舎町を転々として暮らしていた。農業に関心があったわけではなく、自給自足という発想もなかった一方、今となっては若気の至りで恥ずかしい限りだが、コミューン思想のようなものにちょっとしたシンパシーを覚えていたのも事実である。

そんな僕が勝手に抱いていた甘っちょろいコミューン幻想を、完膚なきまでに叩きのめしたのが、このヤマギシ会の一連の事件だった。いったい何が起きたら「自給自足の共同体」が、こんな異形の姿に変貌を遂げるのか。人生経験も、人間に対する洞察力も乏しい当時の僕にとっては理解の範囲外で、手に取る関連書籍の内容のどれもが恐怖でしかなかった。

やっぱりあの時、髭面の長髪で各地を放浪すべきだった、とは考えないので、そういう意味では僕の目を覚ますきっかけのひとつともなった題材とも言えるが、今でもヤマギシや「共同体」の話を見聞きすると、心の奥底にある相反する思いがないまぜになった複雑な思いに駆られてしまう。

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